DVとは

DV・デートDVとは?

DV(ドメスティック・バイオレンス)とは配偶者や恋人など親密な関係にある人に、身体的・性的・心理的・経済的攻撃を含む暴力を繰り返しふるうこと。そして、暴力を手段として、相手を怖がらせたり傷つけたりすることで自分の支配下におき、思い通りに動かそうとする行為です。
結婚していない恋人間で起きる暴力とそれによる支配関係はデートDVといいますが、成人だけでなく、10代の若い世代でも起きています。

DV防止法では、保護命令に関する規定は、身体に対する暴力又は生命等に対する脅迫のみを対象としているほか、身体に対する暴力のみを対象としている規定もあります。

でも、そのほかの行為もDVですので、ご相談ください。

暴力の種類

身体的暴力
たたく、殴る、蹴る、物を投げつける、首をしめる など
精神的暴力
侮辱したり否定するようなことをくり返し言う、親や友人等、親しい人の悪口を繰り返し言う、怒鳴ったり睨んだりする、無視する、わざと嫉妬させる、「別れる」「自殺する」と脅す、ストーキング、携帯メールで束縛する、常にメールチェックやアド消しをする、監視する、外出・交際や行動の自由を奪う、友だち・近所・親戚付き合いを制限する など
性的暴力
セックスの強要、避妊をしない、嫌がる性的な行為を強要する、見たくないポルノ雑誌を見せる など
経済的暴力
生活費を渡さない、働かせない、無理に働かせる、金銭的自由をあたえない、(デートDVの場合:借りたお金を返さない、貢がせる、常に無理にデート代を支払わせる)など

2012年 内閣府調査結果より

「配偶者から命の危険を感じるくらいの暴行を受けたことがある」
… 女性 4.4%,男性 1.6%
「配偶者から暴力を受けたことがある」
… 女性 32.9%,男性 18.3%
「交際相手から暴力を受けたことがある」
… 女性 13.7%,男性 5.8%
「異性から無理やり性交されたことがある」
… 女性 7.6%

※民間団体の調査では、交際経験のある高校生女子の約20%が暴力を受けた経験がある

加害者(バタラー)の特徴

DVの原因は「ストレス」ではありません。(加害者である)あなたは職場でストレスがあった際、職場の人に暴力をふるったでしょうか?

DVの原因は、「ストレス」でも「怒り」でも「お酒」でも「相手の言動」でもありません。相手を自分のコントロ-ル下に置こうとする「支配」が原因です。もちろん、「身体的暴力」だけが暴力ではありません。「精神的・性的・経済的・社会的」な支配も暴力です。何かのせいにしているうちは、自分に問題があるということ自体に気づいていないということです。

(※加害者=男性という表現があることは、このHPが女性当事者を対象にしている性格上及び参考文献の関係上、ご理解ください。)

DVは、「一部の特別な人々」のあいだで起こる出来事ではありません。学歴・職業・社会的地位・年収などに関係なく、あらゆる階層・地域に起きている問題です。言いかえれば、「いつ、どこででも、誰にでも起こる可能性がある」ということ。「あなたの身近で」。
…いえ、もしかしたら「あなた自身に起きているのに自覚がない」だけかもしれません。

暴力をふるう加害者(バタラ-)の特定は出来ませんが、共通する行動パタ-ンと性格傾向があることがわかってきました。

  1. 嫉妬深さ
  2. 支配的な態度
  3. 性急でせっかちな行動
  4. 相手への過剰な期待と依存
  5. 孤立化と拘束
  6. 他人の前で恥辱を与える
  7. 傷つきやすさ、神経過敏
  8. 動物や子供への残虐性
  9. 性的虐待
  10. 言葉による暴力
  11. 厳格な性別役割意識
  12. ジキルとハイド、内と外の二重人格性
  13. 脅迫的言動
  14. 物にあたる

(以上、※1より引用)

1.嫉妬深さ

「嫉妬」は愛情と誤解しがち。『そんなに私のことを思っていてくれるなんて…』と。友人との付き合いを制限したり、何度も電話をかけて家にいるかをチェックする。それははたして愛情でしょうか?単に相手を完全に所有したいという独占欲に過ぎません。そして「所有物」という、「物」扱いされているということです。

2.支配的な態度

妻も子どもも自分の支配下におく。子どもへの体罰は「教育的しつけ」と。自分が子どもの頃を思い出してみてください。親からの「体罰」で得るものはありましたか?ただ恐怖のあまり「ゴメンナサイ」を繰り返すばかりではなかったでしょうか???妻に対する暴力も「いたらぬ妻のしつけ」と言います。

「しつけ=礼儀作法を身につけさせること(広辞苑より)」
「茶碗の置き方が気に入らない」
「物音をたてた」etc.

「いたらぬ妻のしつけ」と彼らが称する一例です。それは「しつけ」でしょうか?
それ以前に、対等な関係に「しつけてやる」という発想は起こらないと考えます。

3.性急でせっかちな行動

強引な行動を愛情と錯覚させたり、結婚させなければ~すると脅迫する、自殺すると脅すなどをいいます。

4.傷つきやすさ、神経過敏

自分が受ける侮辱には異常なほど敏感で、激怒します。他人の痛みには全く気づかないのに…。「俺を馬鹿にしやがって」が決り文句で、いらいらしているときは、全てが怒りの引き金になります。何をしても、逆に何もしなくても気に入らないと。妻はただビクビクと顔色を伺いながら暮らす日々。

9.性的虐待

力づくの有無を言わさぬsexが、男らしいやり方だと信じ込んでいます。暴力行為のあと、sexさえすれば仲直りが出来ると思っており、また、「sexは妻の仕事のうちだ」と強要。「無料トイレだ」と言われた人もいます。避妊に協力しないというケ-スも多く、心身共に傷つくのは女性側だけ。

11.厳格な性別役割意識

典型的な男尊女卑。
「男尊女卑」の「卑=身分や地位が低い」ということ。(広辞苑より)
女性というものは、夫につかえるために、ちゃんと家にいるものだという意識。「妻を働きに出すのは俺の甲斐性がないと思われる!」「子育ては妻の仕事」「誰のおかげでメシが食えるんだ」などと言ったことはありませんか?

12.ジキルとハイド、内と外の二重人格性

社会生活の場では、信頼される人物であることが多く、「あんなに穏やかな良いご主人が…」と、誰も妻の言うことを信じてくれません。また、警察・裁判所においても受けが良く「こんなに反省しているのだから」と、充分な制裁が行われないことも問題だと個人的には思っています。

13.脅迫的言動

「今度逆らったら殺されると思え」「逃げられると思うな。何処までも追いかけてやる」など。

また、デ-ビット・アダムス氏(※2)は、「7つの特徴」を挙げています。

  1. 公の場と家庭内における行動の違い
  2. 暴力の否定
  3. 責任の転嫁
  4. コントロ-ルするための戦略
  5. 嫉妬と所有欲
  6. 子供の操作
  7. 更正に対する拒否

1.公の場と家庭内における行動の違い

外での評価は「いい人」「真面目」「面倒見が良い」などのケ-スが多い。そのため、勇気を出して相談しても、「妻の方が悪いのでは?」と公的機関だけでなく、親兄弟・友人にも言われる。「妻が精神的異常」と言われたり、別れたあとですら、「悪妻だったそうよ」と言いふらされ、行き場のない想いをしたりする。

2.暴力の否定

「暴力」「加害者」という自覚がないため、虐待の事実を否定する。「たいしたことはしていないのに」と逆に意外な顔をする。

3.責任の転嫁

「妻がそう仕向けた」「酒のせい」と責任転嫁し、逆に自分が被害者だと考える。(「酒」は「暴力のきっかけ」ではあっても「原因」ではない)

4.コントロ-ルするための戦略

妻の自尊心を傷つけ、周囲から孤立させることにより、「頼る者は夫しかいない」状況にし、意のままに操作する。

5.嫉妬と所有欲

妻を自分の所有物と考えており、別れ話を口に出すと、逆に嫉妬が増悪しスト-カ-と化す。別居や離婚後でさえ、その状況が続く。相手はいつまでたっても「自分の所有物」であり、それが「勝手な行動を取ること」を許さないという考え。

6.子供の操作

子供への直接的な暴力(DV当事者のうち子供がいる女性の約3分の2が、子供への暴力も同時にあったと回答…※3の調査結果より) 子供への暴力を目の当たりにすること、それを止められないことによる精神的暴力・無力感、その他、母親の行動を監視させたり、スパイ・人質として利用する。

7.更正に対する拒否

加害者意識がないため、当然更正しようという意志はない。

【引用・参考文献】

  • 女のスペ-ス・おん ブックレット:『男たちはなぜ暴力をふるうのか』 1998
  • 米国ボストンのバタラ-カウンセリング機関「エマ-ジ」の創始者(「女を殴る男たち」…梶山寿子 著(文藝春秋)より)
  • 「夫(恋人)からの暴力」調査研究会:『ドメスティック・バイオレンス』 有斐閣 1998

逃げない?逃げられない!

1998年3月に、東京都が発表した「女性に対する暴力」調査報告書(東京都民4,500人を対象に行われた全国初の調査)によると、暴力を受けた経験があると答えた女性の割合は以下の通りだった。

「身体的暴力」… 33%
「精神的暴力」… 55.9%
「性的暴力」… 20.9%

中には、何年・何十年もDVの渦中にいる女性もいる。

「離婚しない、逃げないんだから、暴力と言ってもたいしたことないんじゃない?」そんな世間の思い込みは、根強い。なぜ、逃げないのか?「逃げない」のではなく「逃げられない」のである。感情が鈍化し、全てに受動的になり無力感に支配され、「現状を変える」という積極的な行動を取ることができなくなる。これが「バタ-ドウ-マン・シンドロ-ム」と呼ばれる心理状況である。

暴力のサイクル

心理学者レノア・ウォ-カ-は、その著書「バタ-ドウ-マン」の中で、「暴力のサイクルという理論を打ち出した。以下の3つのサイクルである。

  1. 「緊張状態が蓄積される時期」… 言葉の暴力や、脅迫が行われる。
  2. 「暴力の爆発期」… 身体的・性的暴力がふるわれる。
  3. 「ハネム-ン期」…「俺が悪かった。もう2度としないから」など甘い言葉をかけたりする。

多くの女性は、相手の言葉を信じる。気持ちも揺らぐ。相手を信じたいと思う。だが、現実はまた、このサイクルが繰り返される。加速度を増して。

圧倒的な無力感(※1より引用)

セリ-マンという心理学者の、有名な研究がある。

犬を檻の中に入れて、理由なく電気ショックを与える。いいことをしても、悪いことをしても、とにかく虐待する。つまり、バタ-ドウ-マン(DVを受けている女性)と同じ状況に置くわけである。最初はもがいていた犬も、虐待を受け続けるうちに絶望的になっていく。檻から逃げ出すことも試みずに、ただおとなしく電気ショックを受けているだけ。しばらくすると、檻を取り払っても犬はじっと動かない。
バタ-ドウ-マンの場合も、明確な理由もないまま殴られる日々の繰り返しの末、混乱し、全てを諦め、絶望の闇に入り込む。「お前は馬鹿だ、クズだ」と罵られ自尊心をズタズタに切り裂かれ、「私が悪いんだ。だから殴られるんだ」と思ってしまう。

“監禁状態”の心理(※2より引用)

精神科医のジュディス・L・ハ-マン博士は著書「心的外傷と回復」の中で、「家庭」という私的な牢獄の中で、長年にわたって継続的にふるわれる暴力・虐待の被害者の心理を分析している。

「犯人と被害者とを長期間接触させるという監禁状態の中で」被害者を自分の支配下におき一種の奴隷化をする。
付き合いの制限による孤立。恐怖によって被害者を無力化し、孤立させて徹底的に支配する。被害者は、何をしてもたちうち出来ないという絶望的な無力感を抱くようになる。以上のような段階まできてしまうと、被害者は自分だけの力で行動を起こすことは、ほとんど絶望的である。逆に加害者に対して「生かしてもらっていることの感謝」さえ感じることがあるという。

第三者から見れば理解に苦しむことであろう。しかし、これは被害者にとって、一種の「生き残りのための心理的防衛反応」でありこのような状況が続くうち、被害者は、「人間としての尊厳・感情」すら失い、無感覚・無感動な状態に陥る。被害者の人間としての最後の自尊感情が徹底的に粉砕され、自己嫌悪の極限で被害者自身が精神的な解体を起こしてしまう。

被害を受け続ける女性たちの、「心と身体」に刻まれていく傷の深さと重さ。サリン事件・阪神淡路大震災、新潟で起きた女性監禁事件において、広く知られるようになった、「PTSD(心的外傷後のストレス障害)」や、「トラウマ(心の傷)」は、はかりしれない。

逃げない(逃げられない)理由

  1. 「学習された無力感・絶望感」という(見えない)鎖
    • 繰り返し行われる「脅し」や「暴力」により、無力感に支配され、また感情が鈍化し全てに受動的になり「現状を変える」という積極的な行動を取ることができなくなる(※上記参照)
    • 「どうすることもできない」「嵐が通り過ぎるのを待つだけ」
  2. 「愛情」「希望」「恐怖」の複雑な絡み合い
    • 「俺が悪かった、お前なしでは生きてはいけない」など情に訴え、「愛情」を利用
    • 「今度こそ彼は変わってくれると信じたい」という、「希望」(※上記 「暴力のサイクル」参照)
  3. 経済的・社会的自立の困難
    • 仕事に出るのを許されない、就職先がないなど自活できる収入を得るのが困難
    • 住民票、健康保険証が世帯中心となっているため、自立しにくい状況
  4. 被害者の意識による理由
    • 子どもの問題
    • 世間体や家族からの反対、親に心配をかけたくないなど
    • 暴力を受けるのは、自分にも落ち度があったなどと自分を責める
    • 妻は暴力に耐えるべきという、日本社会の風潮
    • 子どものためには「片親」ではなく「両親」が揃っている方が良いと考える
  5. 相手が離婚に応じない
    • 妻を自分の所有物と考えており、別れ話を口に出すと、逆に嫉妬が増悪しスト-カ-と化す。
    • 逃げた場合であっても、どんな手段を使ってでも探し出す
  6. 相手からの報復を恐れるため
    • 自分や子供だけでなく、家族や友人までもが被害を受けるのではないかという恐怖
  7. 公的機関及び社会の認識・体制・対応が不充分で、支援の利用がしにくい。
    • 相談しても逆に傷つけられる。
      (個人的見解…心ない対応・言動は、「心身ともに限界状態」の当事者にとっては、さらなる暴力・ストレスとなって突き刺さる「言葉のナイフ」)

東京都の被害者面接で、暴力の続いている年数を尋ねたところ、

「5~10年未満」… 32.7%
「10~20年未満」… 28.8%
「20~30年未満」… 24.2%

という結果が出ている。(※1より)

以下、ある当事者の言葉(※4より引用)

「なるべく逆らわないようにするより仕方がない。逃げてもしつこく追いかけてくるであろうし…死んでまでいじめられたくないので、子どもに『同じ墓にいれてくれるな』と言ってある。殺すか殺されるか、早く死ぬか長く生きるかしか自由になれないと思っている」

あなたは「離婚しない、逃げないんだから、暴力と言ってもたいしたことないんじゃない?」と、思いますか???
そして。「逃げない?」「逃げられない??」どちらだと思いますか?

【引用・参考文献】

  1. 梶山寿子『女を殴る男たち~DVは犯罪である~』文藝春秋社:1999
  2. 日本DV防止・情報センタ-『ドメスティック・バイオレンスへの視点』朱鷺書房:1999
  3. 総理府男女共同参画室HP『女性に対する暴力のない社会を目指して(答申)』(平成11年)より『男女間における暴力に関する調査』
  4. 「夫(恋人)からの調査研究会『ドメスティック・バイオレンス』有斐閣:1998
  5. 日本DV防止・情報センタ-編著『知っていますか?ドメスティック・バイオレンス一問一答』解放出版社:2000
  6. 川喜多好恵『DV被害者への心理的サポ-トの実際』(助産婦雑誌vol.54No.7) 医学書院:2000

被害を受けた時、受けているあなたへ

もし、あなたが今、DVの被害を受けているのなら。
あなたへのメッセ-ジ。

  • 暴力は、あなたが悪いからではありません
  • どんな暴力であれ、許される暴力はありません
  • あなたは独りぼっちではありません
  • あなた自身が「今」、そして「これから先」どうしたいのかを考えましょう

暴力は、加害者自身が「暴力を自覚・認識」し、自分で直そうという強い意思を持たない限り、改善の可能性はありません。(強い意思を持っても、改善するのは難しい)ですから。

「私が悪いから」「私さえ相手の気に入るように努力すれば」という考え方は間違いであることに気付いてほしいなと思います。ちなみに、暴力は、お酒やストレスのせいでもありません。それらは「きっかけ」ではあっても、「原因」ではないと考えます。

今、あなたが受けている暴力が、「日常的に長く続いている」のなら、SOSを発信しましょう。信頼出来る人に打ち明けたり、相談することを考えてみて下さい。それが勇気ある1歩になり、また次の1歩につながると考えます。

また、日記・メモなど暴力の事実・その時の想いなどを記録するのも一方法。自分自身にとっても、客観的な資料になります。ただし自宅で保管するのは危険でもあり、難しいところですが。

暴力が「生命の危険を感じさせるもの」ならば、逃げることも必要です。被害を受けている側が、住む所を失い、仕事を失い、親兄弟・友人との連絡も絶って逃げるしか方法がないのは、とても哀しく、また納得いかないことです。しかし、現状ではそれしか方法がないのも哀しい事実。

誰かに相談したい・聴いて欲しいとき

現状では、各相談施設の対応やDVに対する認識が不充分なところもあり、課題とされています。相談すること=頼りきりになる…ではなく、相談することで、自分自身も考えを整理し、これからどうしたいのかを確かめていく作業なのかもしれません。

  1. 女性センタ-
    • 各都道府県・市町村に設置されてきている。相談費用は無料。必要に応じ、関係機関を紹介。
  2. 配偶者暴力相談支援センター
    • 相談や相談機関の紹介
    • カウンセリング
    • 被害者及び同伴者の緊急時における安全の確保及び一時保護 (※)
    • 自立して生活することを促進するための情報提供その他の援助
    • 被害者を居住させ保護する施設の利用についての情報提供その他の援助
    • 保護命令制度の利用についての情報提供その他の援助を行う。
    ※一時保護については、婦人相談所が自ら行うか、婦人相談所から一定の基準を満たす者に委託して行うこととなります。
  3. 警察(相談室及び女性被害110番)
    • 各警察署に窓口があり、暴力の危険があるとき、被害届や告訴の手続きについても相談出来る。普段から相談しておくと、緊急時に対応してもらいやすい。
  4. 児童相談所・児童虐待110番
    • 子どもに及んだ問題に応じている。
  5. シェルタ-・サポ-トグル-プ・フェミニストカウンセリング など

暴力から逃げる決心をしたとき

持ち出す物品等については、あえて記載しません。電話・インタ-ネット・メ-ルなどの利用時も要注意。捜し出す手がかりは残さないこと。必要な物品の準備も大切ですが、緊急時は、荷物を持ち出すことより安全に逃げることが第一。ちなみに当事者の方なら、よくわかると思いますが、出入りを繰り返すのは危険です。逆上した夫から、さらにひどい暴力をふるわれることになります。「全てを捨てて逃げる」「2度と戻らない」という、暴力のサイクルを絶ちきる強い意思が必要です。

緊急時は110番する、警察に駆け込む…加害者から避難して、公的機関に電話する

警察官によっては、対応が不充分な場合も考えられます。危険なことを明確に伝え、自分にとってもっとも安全な対応(母子の一時保護または加害者の拘束)が得られるまで自分自身が交渉しましょう。夜間は、公共機関は閉館中の場合がほとんど。警察経由で、各関連施設との連絡を取ってもらいましょう。

一時保護施設・福祉施設の利用に際しても、まだまだ対応は不充分かもしれません。でも、少しずつですが、社会全体の意識改革が進みつつあります。弁護士さん依頼は有料ですが、無料法律相談を上手に利用することは出来ます。「相手に住所などを知られたくないこと」「顔を合わせるのは危険であること」をはっきり説明しておけば、家庭裁判所の離婚調停の際、配慮してもらえます。子どもの学校の転校に際しても、住民票の移動をせずに転校出来ます。(住民票の移動に注意することに加え、警察の「家出人捜索」も不受理にするよう最寄の警察に申し出て下さい)

体験者から

「妻に虐待される男性もいるんじゃないの?」という意見もあるでしょう。確かに、そういう立場の方もいますし、その方々への支援は立ち遅れています。女性以上に相談することを躊躇う場合も多いかもしれません。

「子どものために我慢する」という選択もあると思います。かつて、私もそうでした。ですから、全ての人に離婚を勧めているつもりはありません。(ちなみに「子どものために(離婚しない)」と「子どもがいるせいで(離婚出来ない)」とは、異なると個人的には思っています)

私が離婚を決意したのは、何度話し合っても、全く変わらない日々の中で「このままでは子どもも私も、いつか取り返しのつかない事(怪我・死)になる」と思ったこと、「自分自身の存在も尊厳も壊れていく(自分が自分でなくなっていく)」ことに、耐えられなくなったから。

そして私は、「自分自身のため」に「離婚」という選択をしました。それが結果的には「子どものため」にもなると思って。

決めるのも、行動するのも、あなた自身です。自分の意思でドアを開け、自分の足で新たな第一歩を踏み出した時。それはきっと未来のあなたにとって、自信と力になります。暴力は、あなたが悪いからではありません。
そして。あなたは独りぼっちではありません。

【引用・参考文献】

  1. 日本DV防止・情報センタ-:「ドメスティック・バイオレンスへの視点」朱鷺書房
  2. 女のスペ-スおん ブックレット:「駆け込みシェルタ- サポ-トガイダンス」

子どもたちへの影響

DVのある家庭で育つ子どもの身体と心の痛みを、考えたことがあるでしょうか?叫び声、物が壊れる音、悲鳴、脅迫の言葉を「その小さな耳」で聞き、そして繰り返される母親への暴力と、母親の傷ついた姿・涙、壊れた物が散乱した部屋を「その小さな目」で見続けなければならない状況を。
「このことは児童虐待の定義に加えられました」(平成16年改正、児童虐待防止法第2条)

DVが子どもに及ぼす影響として、四つの影響があると考えられています。

  1. 子どもも直接的な被害者になるということ
  2. 暴力の目撃者になるということ
  3. 暴力は世代から世代へと受け継がれていくということ
  4. 子どもの安全な生活や発達が保障されないということ

子どもも直接的な被害者になるということ

子どもへの直接的な暴力(DV当事者のうち子供がいる女性の約3分の2が子どもへの暴力も同時にあったと回答…※3の調査結果より)行き場をなくした母親による虐待も、また存在する

暴力の目撃者になるということ

心理的虐待を受けた場合の影響と類似すると言われている・言葉の暴力などの「精神的暴力」や、物を壊すなども同じことです。それは子どもにとって、恐怖と極度の緊張をもたらします。

暴力は世代から世代へと受け継がれていくということ

DVのある家庭で育つ全ての子どもがそうなるという訳ではない。そう決め付けてしまうのは、さらに子どもたちを傷つける「偏見という名の暴力」であると考える。しかし、米国での統計ではDVの加害者の多くが、子どもの頃に親から虐待を受けたか、親のDVを目撃していると言われているのもまた事実である。

DVのある家庭で育つことにより、男の子は「男は、女を自分の思う通りにしてよい」「暴力という手段が許される」と学び、女の子は「女は結婚が絶対」「何があっても離婚はいけないこと、耐えるべき」と学んでいくためと説明されている。そして、大人になる過程で、その「刷り込まれた規範」 が修正されない場合、「世代間連鎖」という鎖から解き放されない。

子どもの安全な生活や発達が保障されないということ

そのため、発達上、様々な影響が現れています。発育障害と診断される子どもたちの中に虐待(DV)の影響を背負っている場合が見うけられます。

表1「子どもに現れた問題や症状」(複数回答)

N=52回答数割合(%)
父への憎悪・恐れ1121.2
不登校917.3
吐く・おもらし・泣く・チック713.5
ノイロ-ゼ・自殺を図るなど611.5
本人が暴力をふるうようになる(兄弟・友人などに)611.5
無気力・無感動など47.7
周りの世界を遮断する47.7
生活習慣の乱れ(酒・タバコ・パチンコなど)35.8
身体的徴候(発育不良など)23.8
身体的外傷23.8
その他35.8
特になし713.5
不明47.7

(東京都 『「女性に対する暴力」調査報告書』より ※1より引用)

PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉は最近よく耳にするようになった。DVというトラウマを体験した子ども達への影響は計り知れない。発達段階によっても影響は異なるが、幼いほどその障害は大きいと言われている。身体の傷は目に見えるが、心の傷は目に見えず、またその深さもはかりしれない。そしてそれらは、DVという出来事が終わった後であっても、PTSDとして、さまざまな形で現れる。子ども達の心のケアはまだまだ今後の課題の1つである現状。子どもの頃の体験で(そうと認識していない場合も含めて)、青年期以降さらに苦しめられる。

子どもに何をしたか、何を与えたかではなく、「子どもに何を見せたか」に敏感になって下さい。どんな夫婦の会話を聞かせ、どんな夫婦の姿を見せたかが何よりも大切なことです。

米国ではDVに対する啓発のため、政府が作ったスポットCMが流されている。女綱(なづな)の学習会において、そのビデオを観る機会があった。

…帰宅した夫と、それを迎える妻。どこの家庭でも見られる風景から場面は始まる。そして、些細なきっかけから口論が始まる。大声に気付いた幼い子どもが、2階から足音をしのばせて降りて来る。そして、階段の途中からおそるおそる気配をうかがっている。

…(突然聞こえる)母親が殴られる音、そして悲鳴。その音に「ビクッ」とし、脅えている様子はかなりのリアルさ。そして字幕が画面に流れる。「子ども達は見ています。あなたは言い訳出来ますか?」と。

「児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力」は虐待を定義されています。
(改正児童虐待防止法2条)

【引用・参考文献】

  1. 日本DV防止・情報センタ-編著:「ドメスティック・バイオレンス一問一答」、解放出版社 2000
  2. 梶山 寿子著:「女を殴る男たち」、文藝春秋社、1999 ~第4章「DVの危険にさらされている子どもたち」 友田尋子~
  3. 「夫(恋人)からの暴力」調査研究会:『ドメスティック・バイオレンス』有斐閣1998
  4. 日本交流分析協会:「交流分析士教本」、1999
  5. 信田さよ子著:「愛情という名の支配」、海竜社 1998

周囲の人にできること

友人・家族・隣人などの立場からできること

  1. 当事者が抱いている恐怖や無力感、罪悪感や自責感をわずかでも軽減させる
  2. 当事者が継続的な援助を受けようと思い、その行動の1歩を踏み出せるように支援する

まずは「聴く」こと

「聞く」「訊く(尋ねる)」ではありません。耳と心を傾けて聴いてあげてください。当事者に対し、あなたの価値観や判断、解釈や分析を押し付けないでください。それらは「聴く」という作業自体を邪魔します。DVとは?の項で書いたように、当事者はさまざまな想いを抱いています。当事者にとって、「誰かに話すこと」自体、とても勇気のいる第一歩です。その第一歩を、そして当事者の心を踏み潰すことのないよう気をつけてください。「あなたにも悪いところがあるのでは?」「それくらいよくある話」「子どものためには父親が必要よ」「あなたが相手を怒らせないように気を配ってみたら?」そんな言葉は、当事者をさらに傷つける二次被害になってしまいます。

当事者を責めない

「なぜ、逃げなかったの?」「私なら立ち向かうわ」「なぜ、そんな人と結婚したの?」…それは傍観者だから言えるセリフではないでしょうか?裏を返せば「当事者が悪い」と言っているのと同じです。「なぜ~」という言葉は、当事者を責めるのと同じです。「逃げない?逃げられない?」の項で書いたように、「逃げられないのは当然」なのです。また、通常の夫婦喧嘩のように対等に立ち向かえる状況でもありません。

「あなたは悪くない」と伝えること

当事者は多くの場合、「自分が悪いから」「自分にも原因がある」と思い込まされています。思い込まされているのに、またさらに周りの人から同じように言われれば、ますます自分を責めます。100歩譲ってどんな理由があったとしても、「暴力は犯罪」です。他人を殴れば「傷害罪」になります。「暴力をふるわれて当然」なんてありえません。多くの選択肢の中から「暴力」を選んだのは加害者自身です。「(当事者が)○○したから~」ではありません。「暴力をふるうこと」自体が悪いのです。当事者が「自分は悪くない、自分のせいではない」と思えるようになるには時間がかかるかもしれません。どうか「あなたは悪くない」と伝え続けてあげてください。

「あなたは一人ではない」と伝えること

当事者は多くの場合、孤立させられています。友人などとの付き合いを制限され、「家庭」という牢獄の中で見えない鎖に縛られて閉じ込められています。孤独は人の力を奪うものです。「あなたは一人ではない」と伝えてあげてください。「聴くことくらいしかできないかもしれないけど、私がいるよ」と。 誰か一人でも、自分の気持ちをわかってくれる人がいる、在りのままの自分を認めてくれる人がいる。それだけで、どんなにか心強いと思います。また、それぞれの立場は違っても同じようにDVで辛い想いをしている人が日本中世界中にいます。みんな対等な仲間です。(安全にインターネットができる環境があれば、DV関連のHPや掲示板があることを伝えるのも一方法です)

「人に助けを求めることの大切さ」を伝える

彼女の話を聴いたあなた自身、問題の大きさに戸惑い、あるいは彼女の苦しみに押しつぶされそうになるかもしれません。「よく話してくれたね」「話してくれてありがとう」と伝えてあげてください。当事者は今まで誰にも言えずに我慢してきました。「一人で我慢すること」を強いられ、誰かに話しても逆に「あなたも悪い」と言われ続けてきた当事者は、「助けて」と言うこと自体が苦手になっています。「誰かに助けを求めることの大切さ」を伝えてあげてください。人として持つ当然の権利を教えてあげてください。婦人相談所やDVについてなど、当事者に役立つ情報を伝えることも必要です。

「加害者の人格批判」はしない

状況によっても異なりますが、当事者は相反する感情を持っています。加害者に対する愛情や「直ってくれるのでは?」という希望を抱いている場合、「自分が悪いから」と思い込んでいる場合もあります。当事者が相反する感情を持つのも、気持ちが揺れるのも当然のことなのです。加害者の「人格全て」を否定する言い方をすると、当事者はその相反する感情から加害者をかばうこともあり、それはあなたの苛立ちや無力感を生み出すかもしれません。また、当事者自身その相反する感情に心が引き裂かれてしまいます。

「中立」ではなく「当事者寄り」の立場で

「中立」は公平なことだと一般的には思われています。  も、「被害者」と「加害者」のように、力が対等でない場合においては、「中立=加害者寄り」になってしまいます。上手に説明はできないのですが、例えば、グラフ上で、「加害者」=10の地点、「当事者」=0の地点だとします。客観的には「中立」=5の地点です。でも、実際には、力が対等ではない立場の当事者が立っているのは「マイナス」の地点なのです。中間に見える5の地点自体が、本当の意味では中間ではありません。また、当事者が立つマイナスの位置から眺めた場合、それは「自分の傍」でも「中立」でもなく、「加害者寄り」に見えるでしょう。
もう1つ別の例えとして。公園にあるシーソーを思い浮かべてみてください。「被害者」と「加害者」のように、力が対等でない状態を重さの差とします。仮に水平に保つにしても軽い方(=被害者側)に加勢しなければなりませんよね。当事者のサポートをしようと思うのであれば、「当事者寄り」の立場でいてください。両者の話を聞くケースもあるかもしれません。その場合、「暴力の理由」を聞いて「どちらが悪いか」を分析することは必要でしょうか?中立や分析は、当事者にとって何の役に立つのでしょうか?加害者は、当事者の行為を「落ち度」と主張して、暴力を正当化することがほとんどです。「暴力をふるう男性の特徴」にも書きましたが、家庭の外では良い人だったり、社会的信用の高い人が加害者という場合も多く、両者から話を聞く場合には、あなたは加害者のほうに好感を持つ可能性もあることを心にとめておいてください。中立であろうとすれば、加害者の言い分や外面に惑わされ、結果的に騙される場合も多いと思います。

当事者の気持ちを尊重しながら共に歩む

「当事者を助けてあげたい」という気持ちを抱いて下さること自体には感謝します。でも、当事者の気持ちを無視したサポートにならないように気をつけてください。あなたが当事者に代わって全てを行うことは、依存を生み出し、逆に当事者の持つ力を奪う場合もあります。(※ただし、危険な状況で緊急度が高い場合には、介入も必要です)
当事者の気持ちは複雑です。無力感でいっぱいだったり、気持ちが揺れることもあります。「助けてあげたい」という気持ちが強ければ強いほど、そんな当事者に対して時には苛立ちをおぼえることもあるかもしれません。でもそれは。「こんなに私が心配してあげているのに」というおごりになっていませんか?当事者が行動に移せないことを責めたり、安易に「頑張れ」と言わないでください。当事者の気持ちを尊重し、見守りながら、共に歩むサポーター(伴走者)でいてください。

全てを抱え込まない

あなたが、友人・家族・隣人の立場であれば、当事者に対して「できること」と「できないこと」があるのは当然です。「自分に何ができるか(できないか)」を見極めることも必要です。情報を提供したり、必要な関連機関に繋ぐこともサポートの一つです。あなた一人で全てのことを抱え込むには、DVはあまりにも重過ぎる問題なのだから。また、あなた自身が抱えている問題(DVとは限らない)と、当事者の問題に重なる部分や共通する部分がある場合には、あなたが混乱してしまったり苦しくなることがあります。そういう場合は、無理をせずに、できる範囲でサポートしてください。

当事者の安全を確保する

可能であれば、危険な場合の「安全プラン」を当事者とともに考えてあげてください。サポートが得られる人や場所を考える・行動の選択肢を提供する、今何をする必要があるか行動の優先順位を考え、そのためにあなたは何ができるかを伝えるなど。あなた自身が身体を張って暴力を防いだり、加害者に介入することは危険です。あなた個人に「当事者の身を守れ」と言っているのではありません。婦人相談所などの一時保護施設や警察を活用することも考えてください。

共感と同情の違い

「助けてあげたい」「何とかしてあげたい」という想いが、同情や哀れみにならないように気をつけてください。同情や哀れみは、上の立場から見下ろされているように感じます。当事者が必要としているのは「共感(empathy=エンパシー)」であって、「同情(sympathy=シンパシー)」ではありません。

いろいろと書き並べましたが、これらの全てを行えというつもりはありません。

まずは、「聴くこと」を心がけてくだされば充分です。(他の内容は、頭の隅にとめておいてもらえば幸いです)また、単に隣人として、DVではないか?と気付いた場合や、当事者自身が話そうとはしない段階であれば、「どうしたら良いか?」「どこまで関わって良いのか?」と迷うこともあるかもしれません。その場合は、機会を見つけて「気になっている・心配している」ということを伝え、「自分に何かできることがあればいつでも声をかけてください」と伝えるのも一方法かと思います。

当事者の話を聞いていると、「決断力がないな」「依存的だな」「感情的だな」「混乱しててきちんとした話ができないな」などと感じることがあるかもしれません。そして、本人の性格に問題があるから暴力を振るわれても当然ではないかと感じることがあるかもしれません。でもそれは、暴力を受けた結果であり、暴力の中で生き延びるためにそういう精神状態・行動をとらざるを得ないだけです。

目の前にいる当事者は、自分では問題を解決できない弱い人とあなたの目に映ることがあるかもしれませんが、当事者の本来持つ力と可能性を信じてください。あなたが、「当事者の気持ちを尊重すること」「当事者が解決していく力を持っているんだと信じること」が、無力感に陥っている当事者にとって大きな力になります。

身近に当事者がいる・自分の友人がDV被害を受けている、その事実を知っただけで戸惑いも大きいかもしれません。問題の大きさに押しつぶされそうになるかもしれません。自分に何ができるのかと思い悩むかもしれません。でも。あなたが「当事者の力になりたいと思っていること」「当事者の気持ちを受け止めてくれていること」を伝えてくださるだけで充分なのではないでしょうか?あなたの力で全てを解決しようとするのではなく、次に繋がるような橋渡しや心からの応援ができれば良いのではないでしょうか?「今あなたにできること」は何なのかを、このページを読んで考えて頂ければ幸いです。

【引用・参考文献】

森田ゆり:「ドメスティック・バイオレンス~愛が暴力に変わるとき~」,小学館,2001

周囲の方々へのメッセージ

【当事者のご両親へ】

「子どものために我慢しなさい」
「お前にも悪いところがあるんだから」etc.

…「暴力をふるうこと」自体が犯罪なのです。加害者が「(当事者が)○○したから~」と言うのは、単なる言い訳に過ぎません。DV家庭で育つことは、子どもにとって「児童虐待」を受け続けるのと同じ影響があると言われています。「両親が揃っている=理想的な家庭」という考えは、あなたが(知らず知らずのうちに)刷り込まれてきた価値観に過ぎません。当事者は、周囲の人から「あなたも悪いのでは?」と言われ続けてきています。

あなたの娘さんは、「子どものために」と今まで十分に我慢してきました。自分に悪い点があるのなら直そうと努力もしてきました。ご両親に余計な心配をかけたくないと思ってきました。どうか、「よく我慢してきたね。頑張ってきたね。辛かっただろう?お前は悪くないんだよ」と言って抱きしめてあげてください。ご両親が1番の理解者・応援者になってくれたらうれしいなと思います。

「実家に戻って来るなんて世間体が悪い」
「肩身が狭い」
「恥ずかしい」etc.

…そう思うお気持ちもわからないでもありません。でも自分たちの世間体や見栄のために、娘さんを犠牲(=いけにえ)にするのでしょうか?そこまでして守りたい世間体や見栄って、何なのでしょう?別居にしろ離婚にしろ、危険な環境を脱出すること自体、大切なことです。近所や親戚の人がとやかく言うようなら「DVというのがあって、法律もある犯罪行為なんですよ」と言ってやりましょう。ただし、言ってもわかろうともしない場合は、それ以上は無駄な労力です。周りがどう思おうと、あなた自身が「恥じる事は何もない」と思えれば良いのです。

「もっとしっかりしなさい」
「子どものためにもあなたが頑張らないと」etc.

…当事者は多くの場合、無力感や自責感を抱えています。励ますつもりの言葉でも逆に当事者を傷つける場合があります。娘さんに今必要なのは「安易な励ましの言葉」ではなく、「安心して自分らしく過ごせる居場所」です。人が生きるには「身体」と「心」に栄養・休養が必要です。苛立ちを抱くこともあるかもしれませんが、どうか見守ってあげてください。何があっても自分たちは味方だと伝えてあげてください。

【加害者のご両親へ】

息子さんを信じたい・かばいたい気持ちは親として当然かもしれません。でも、息子さんの「非」は非として認めてください。本来なら、傷害罪で逮捕され留置場に入れられるのが当然の犯罪です。自分の犯した罪の重さときちんと向き合わないと、再犯を繰り返すだけです。当事者には心から詫びてください。そして、息子さんだけでなく、ご両親も、自分たち夫婦の在り方や子育てを見つめ直す機会なのかもしれません。

しつけと称した「体罰」を容認していませんでしたか?相手の立場や気持ちを思い遣る心をはぐくんできましたか?「男は泣き言を言うもんじゃない」などと、感情を言葉にして伝える力を奪っていませんでしたか?「男らしさ=強さ(支配)」「男が上で女は下」と気付かぬうちに刷り込んでいませんでしたか?あるいは、ご両親夫婦自体が(気付いていないだけで)DV家庭を築いてしまっているのかもしれませんが。

【過去にDV被害を受けた女性と交際している方へ】

彼女の心の傷を癒すには時間がかかります。彼女が恋愛自体に臆病になったり、怯えを抱くのは当然のことなのです。「被害者意識が強過ぎる」のではなく、それだけ辛い想いをしたということです。「自分はDVを行うような男性じゃない」という思いが強過ぎると、逆に「何で僕を信頼してくれないんだ」と思うこともあるかもしれません。

でもそれは、あなたを否定しているわけではありません。注意すべき点としては、たとえ喧嘩になっても(暴力をふるわないのは当然として)「大声で怒鳴らないこと」「(安易に)頑張れと言わないこと」でしょうか。彼女は、期待どおりにできない自分を責めてしまいます。今の「在りのままの彼女」を認めて受け止めてあげてください。あなたの温かさで包んであげてください。

【最後に】

事件などでDVと報道されることはまだまだ少ない現状です。児童虐待の背後にDVが潜むと思われるものもあります。当事者が不幸にして亡くなった場合、新聞記事には「加害者の言い分」だけが載ります。その言い分は、暴力をふるった口実に過ぎません。メディア・リテラシーという言葉があります。報道の裏にある真実を見ようとする眼を持ってください。そして、納得のいかない報道には「DVと報道してください」などとメールを送りましょう。私たち、一人一人の声を届けるために。